Diary of Hofreis 1609 ニコラース・ポイク駿府旅行 旅程

1609年ニコラース・ポイク駿府旅行 旅程

Diary of Hofreis by Nicolaes Puyck


西暦 和暦 行程等
1609/7/1 慶長14年5月30日 夕刻、平戸へ来航
往路  Outbound
1609/7/27 慶長14年6月26日 Ferando(平戸)発。夕刻、Fayatte(博多)の近傍でAmosma(相島)の前面に碇泊
1609/7/28 慶長14年6月27日 下関海峡を通過
1609/7/29 慶長14年6月28日 Maqougossima(向島)のすぐ近くの湾で投錨
1609/7/30 慶長14年6月29日 Merosanij(室積)の前面に投錨。夜になって再び漕ぎ進み、Simmesacke(上関の誤記?)を通過
1609/7/31 慶長14年7月1日 午後、投錨し真水を取る。日没近く再び帆走を始め、夕刻、Canoto(家室?)の近くで松浦法印鎮信と逢う。
1609/8/1 慶長14年7月2日 Couranga(倉橋島?)の前面を通過。Amangij(蒲刈?)、Tadanomij(忠海?)、Moye(大三島の甘崎か)を見、夕刻、Thome(備後鞆)の前面に投錨
1609/8/2 慶長14年7月3日 夜間に出帆、Sinogay(下津井?)の城を見て、正午にこの島の近くに投錨し真水を取る。再度出帆し、Ulsamado(牛窓?)の近くを帆走して通過、Madijo(室津)の前面に投錨
1609/8/3 慶長14年7月4日 Orajamme(室山?)、Famape(姫路?)、Akanen(明石)の城の近くを通過、夕刻、Osacke(大坂)の前面に投錨
1609/8/4 慶長14年7月5日 Osacke(大坂)でヤン・ヨーステン(Jan Joosten)及びピ〔ーテ〕ル・フェンスゾーン(Pr. Vensz.)[ヤンスゾーンJansz.の誤記。]の二人のオランダ人と会う
1609/8/5 慶長14年7月6日 夕刻、Fisonij(伏見)へ向け出発。河を遡る
1609/8/6 慶長14年7月7日 Figatte(枚方)を通過し、夕刻Fisonij(伏見)へ到着。馬に乗って行くための準備を整える
1609/8/7 慶長14年7月8日 Fisonij(伏見)から馬で出発し、Oost(大津)で新しい馬を雇った。夕刻、Consatij(草津)を通過
1609/8/8 慶長14年7月9日 Asibe(石部)に到着し、馬が換えられた。さらに、Mimatsz(水口)、Soetsiau(土山)、Sacka(関)まで来て馬を換え、夕刻にはSebijseho(関の地蔵)に来て宿泊
1609/8/9 慶長14年7月10日 Sebijseho(関の地蔵)を出発、Coumamme(亀山)まで前進し、10マイルは舟で通過、夕刻にはMeay(宮、今の熱田)に来着し宿泊
1609/8/10 慶長14年7月11日 Meay(宮、今の熱田)を出発し、Narmij(鳴海)、T'sio(知鯉附)を通過、Josmey(吉田)に来着し宿泊
1609/8/11 慶長14年7月12日 Josmey(吉田)を出発し、Stangwa(二川)で馬を換え、Forretsche(白須賀)で二人のオランダ人に会う。Gamotij(浜松)、Tamegouwa(天竜川)を通過し、夕刻、Maskenocko(見附)に来着し宿泊
1609/8/12 慶長14年7月13日 Chosera(袋井)、Kakamma(掛川)、Nisacke(日坂)、Kama(金谷)、Sumada(島田)を通過し、Fuedseda(藤枝)に来着し宿泊
1609/8/13 慶長14年7月14日 Fuedseda(藤枝)を出発し、Mardij(鞠子)を通過、正午にSarigu(駿河)に到着。Godgedonne(後藤庄三郎光次、金座頭取とKosekedonne(本多上野介正純)に面会、皇帝(家康)に取次ぐ約束を取る
1609/8/14 慶長14年7月15日 家康に謁見
1609/8/15 慶長14年7月16日
1609/8/16 慶長14年7月17日
1609/8/17 慶長14年7月18日
1609/8/18 慶長14年7月19日
1609/8/19 慶長14年7月20日
1609/8/20 慶長14年7月21日 朱印状四通と書翰一通を受領
1609/8/21 慶長14年7月22日
復路 Inbound
1609/8/22 慶長14年7月23日 Saringau(駿河)発、Kakingawa(掛川)着、泊
1609/8/23 慶長14年7月24日 Kakingawa(掛川)発、Johinday(吉田)着、泊
1609/8/24 慶長14年7月25日 Johinday(吉田)発、Neay(宮)着、泊
1609/8/25 慶長14年7月26日 Neay(宮)、Sehanosa(坂之下)着、泊
1609/8/26 慶長14年7月27日 Sehanosa(坂之下)発、Cotij(草津)着、泊
1609/8/27 慶長14年7月28日 Cotij(草津)発、Menga(都)着、泊?
1609/8/28 慶長14年7月29日 Menga(都)発、Fisommij(伏見)へ。Fisommij(伏見)を出発しCosacke(大坂)へ向け、河を10マイル進んだ
1609/8/29 慶長14年7月30日
1609/8/30 慶長14年8月1日 Sackay(堺)へ向け、陸路を出発
1609/8/31 慶長14年8月2日
1609/9/1 慶長14年8月3日 Sackay(堺)へ向け、舟で向かう
1609/9/2 慶長14年8月4日 Sackay(堺)着、泊
1609/9/3 慶長14年8月5日 Ferando(平戸)へ向けSackay(堺)を出発、20マイル帆走、mereto(室津?)で通訳サントフォールトと別れる
1609/9/4 慶長14年8月6日 Osinada(牛窓=瀬戸内市牛窓町?)まで帆走。ここで、William Adamsに再会。夜、Keome Jore(備中浅口郡黒崎か)の島の近くに投錨
1609/9/5 慶長14年8月7日 Koeme Jore(黒崎か)からThome(鞆)まで15マイル帆走、Thome(鞆)を夜間に通過
1609/9/6 慶長14年8月8日
1609/9/7 慶長14年8月9日 午後、嵐に遭遇、舵を修理
1609/9/8 慶長14年8月10日 Caneseckij(観音崎)及びMaoratij(御手洗?)の狭いところを通過、逆風のため船旅を延期
1609/9/9 慶長14年8月11日 嵐のため待機
1609/9/10 慶長14年8月12日 舟の装備が終わり出帆、夜、Merod Sommay(光市室積か)で投錨
1609/9/11 慶長14年8月13日 Merod Sommay(光市室積か)からSimmesackij(下関)まで帆走、下関碇泊
1609/9/12 慶長14年8月14日 Simmesackij(下関)の海岸を離れ、、午後、Corijsackij(狩尾崎か)を通過、夕刻、Bobbeke(呼子、唐津市呼子町)に碇泊
1609/9/13 慶長14年8月15日 Bobbeke(呼子、唐津市呼子町)からNograngier(名護屋)まで早舟で航行。陸路を馬で進む。その後、途上では舟で通過。正午に一艘の舟に乗ってさらに帆走し、夕刻、Ferando(平戸)に到着
edited and writen by Masaji


1609年ニコラース・ポイク旅程図

Route map of Hofreis by Nicolaes Puyck


画像



関連

Hofreis 1609 オランダ国王使節の参府
http://japancandn.at.webry.info/201803/article_1.html

日蘭交渉史の研究 第四章 ニコラース・ポイクの駿府旅行記

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • Hofreis 1609 オランダ国王使節の参府

    Excerpt: 国王使節、駿府へ 1609年、オランダ国王使節が駿府城を居城とする大御所徳川家康を訪問し、通商許可朱印状を入手し、日蘭通商が始まった。 Weblog: 日本の文化と自然 racked: 2018-03-08 11:54